旦那が死んで鬱になる

まだ話せてない事、たくさんあるのに・・

第1章(生活の変化)

1.闇は突然現れる。

 今年は珍しく2人で大晦日から新年を迎えることができた。
 いつもだったら、必ず大晦日に喧嘩をして、大体1月の半ばから3月位までは離れて暮らす。そんな毎年だった。

  だけど、今年だけは珍しく仲良く買い物に行って、洋服とか下着とかいろいろ買って、食事をしてパパがドーナツが食べたいって言うからミスド買って、仲良く過ごし、   夜になると一緒にスーパーに行って、おせち料理の材料買ったり,年越しそばを買ってとても楽しい大晦日だった。
  そして、2025年1月1日朝起きておせちの用意を始めようとしたら,煮付けがどこにもない。買ったはずなのにない。おかしい。絶対買った。
 パパの部屋に行って尋ねてみた。おせちの煮物、知らない?
  尋ねると「あぁ俺さっきそれ食べたよ」「はあーーーーーー?信じられない。嘘でしょう。普通おせちに使うもの食べる?絶対にありえない。どうすんのよ。」ヒステリックに。大声を上げると、パパは笑いながら「わかった。」「わかった。買ってくるから待ってろよ。」「笑ってる場合じゃないどこで買うんだ?スーパー休みじゃん」

 するとすぐに帰ってきて、「これでいい?」と言ってセブンイレブンの煮物買ってきた
 それも肉じゃがときんぴらごぼう絶対ありえない。
 さすが末っ子だ。長女の私には考えられない行動だ。
 そんなこともあったけど、仲良く新年を迎えた。
 パパはアル中だ。
 4ヶ月位前血を大量に吐いて救急車で病院に運び1週間位入院した。
 その1ヵ月位前は、私が無理矢理病院に検査に連れて行き、結果脂肪肝と言われ、医師に「あなたこのままでは5年後に肝硬変となり、10年後には死にますよ」

 それを言われても全く聞き耳持たず。
 朝からストレートでウイスキーを飲んでいる位のアル中。
 私たちは毎年大晦日に喧嘩になる理由は酒である。
 大量に飲むパパを私が止めることから喧嘩に発展するのだ。

 「パパに死なれたら困るだって私、そしてアーニャ。どうしたらいい」その言葉が、毎度毎度口癖になった。
 でも、さすがに血を吐いた時は焦ったみたいで、
 しかも入院中は離脱症状が出て大変だった。
 毎日看護師さんから連絡が来て来てください。止めてくださいとか電話があるから私は「行きませんよ。そこまでタクシーでいくらかかると思ってるんですか完全看護なんだからお願いします。縛るなりなんなりしてください。許可しますから」私はそう言って、電話を切った。
 だってすっごく暑い夏だと言うのに、日中パパの用事で歩き回っていて、もう足がガクガクしていると言うのにその上2往復もしているのにさらに1往復しろと言うのはあまりにひどくない。私だって休みたいしアーニャに餌をあげなきゃいけないし。

 結局縛っておくことにしたみたいだけど、行ってみると、大体私は怒鳴られる。
 パパの血液型はA型で、いわゆる内弁慶です。
  外ではとてもいい人を演じ、頭を下げ、自分を殺して我慢しています。しかし家に帰ると威張り散らし、ひどい時には食器棚付きのカウンターを全部ひっくり返し、部屋中が皿やコップなどで、ぐちゃぐちゃになりました。
 片付けるのに友達2人を呼び、2日かかりました。
 パパとの歴史は長く、出会って21年目です。
 ただし、そのうち10年パパは高い塀のむこうに居たから、実質共に過ごしたのは11年ほどです。
 パパの職業は黒い会社なので、家にいることが多くい。
 毎朝出かけるサラリーマン家庭が羨ましいです。
 なので普通の人の3倍も4倍も一緒に過ごしました。
 私達は結婚はしておらず、いわゆる事実婚の状態でした。
 私も離婚経験があるため、普通の奥様の生活がどんなものかは知っています。
 でも、どちらを選ぶかと言えば、私はおそらくパパを選びます。普通の人との付き合いが苦手で、黒い会社の人が合っているのかもしれません。
 
 そんなこんなで退院となり、一人では歩けないため、黒い会社の2人に頼んでもらい家まで送ってもらいました。
 それからは、本人もさすがに参ったのか、ウイスキーをやめてビールになりました。      どっちもアルコールだからやめたほうがいいと言いましたが、やはり無理なようで、「ビールだから大丈夫だ」と朝から飲んでいることもあります。
 用事があると出かけますが、その用事というのは大抵お酒を飲むことです。
この後すぐに私が「一緒に広い部屋に住もうよ。」と頼んだのです。
 私たちは別居してました。
 いつも酒で喧嘩になるから、そのたびにパパはもう一つ部屋を借りて別居を始めたんですが、まぁそれでも春に何回も来ますね。
 美容室も私と同じところに行ってるし、歯医者さんも家のすぐ近くの同じ所。
 まぁ、でも別居暮らしの方が仲良くできていたからそれはそれでよかった。
 でも今回ばかりは私は放ってはおけませんでした。なぜなら私にはパパが死んでしまうって思ってたから。
 死相ていうの私わかるんです。もうすぐ死んじゃう人
 これまでに、それを人に言うと、嫌がられるから黙っているけど、私わかるんです。
 だけど、今回ばかりは外れて欲しかった。

 そんなわけで、すぐに家を探し、すぐに手配して引っ越しをしたんです。
 また、喧嘩したときのために、私の住んでた家はそのままにしておきました。
 先生に診断書とDVD渡されて、「すぐに大きい病院に行ったほうがいいですよ、膵臓まで弱ってるからなるべく早く行ったほうがいい。」それを聞いたのに、私は引っ越しで忙しくてすっかり後回しにしていた。私が悪いのかもしれない。
 今思えてならない。私が監視するために一緒に暮らし始めたのに。
 私自身、浮かれていたのかもしれない。
 アーニャと過ごすことが大好きなパパは怒ることもできないほど可愛がっている。
 アーニャを買う時選んだのもパパだから可愛くて仕方ないのだろう。
    そんな幸せそうなパパを横目に私は忙しく、家具の組み立てとか荷物出しとか整理に追われて毎日毎日戦争だった。だからすっかり忘れてた。病院の事たまに口では言って      いたけど行く予定はなさそうだった。
     本人の意思だから行くのは,でも、そんな1日1日でパパの体は弱っていった。
 自分の体の体温調節ができないほどで、暖房は30度とかに設定しても寒い。寒いて言ったり、毎日続く下痢。食欲不振。ドンドン、ドンドンやせ細っていく。
 なんか、外国のおじいさんみたくなっちゃって、一緒にタクシーに乗ったら、親子に間違えられた。

 もしかして痛みとかを酒でごまかしていたのかもしれない。
 私に言うと、病院病院って言うから、症状とかもえなかったのかもしれないね。